[復活にかける](1)津波被災地で農事組合法人を設立 鈴木保則さん(仙台市若林区)/地域まとめ営農再開

掲載日:
2014/03/05
発行元:
日本農業新聞

 東日本大震災から11日で3年。被災地では営農再開、JAの再建、東京電力福島第1原子力発電所事故による「風評被害」の払拭(ふっしょく)などの取り組みが続く。復興を担う地域のリーダーを追った。

 10メートルもの津波が押し寄せ、36人の命が失われた仙台市若林区の井土地区。今年、塩水をかぶり、がれきに覆われた水田が復活しようとしている。

 井土地区は全103戸のうち農家が73戸を占める農業地帯。震災前まで鈴木保則さん(53)は、高齢者などから農地を請け負って20ヘクタールを耕作してきた。「地域に耕作放棄地を増やしたくない」と設備投資も積極的に進める中核的な担い手だった。

 だが、津波は全てをさらっていった。トラクター2台、8条植えの田植え機、大型コンバイン、乾燥機・・・・・・。手元に残ったのは800万円の借入金だけ。1年間、無収入のまま返済に追われた。「家も農地も悲惨なありさまで、営農を再開する気持ちは全く湧かなかった」。鈴木さんは振り返る。

 思い直したのは、2012年にJA仙台による農家へのアンケート結果を見た時だ。多くが「農業はできないが、農地だけは耕作してくれる人に預けたい」と望む声だった。「よし、受け皿になろう」。鈴木さんは再起を決意。同年12月、仲間と共に15人で農事組合法人「井土生産組合」を設立。出資者は農家だけでなくJAも加わり、「地域一丸」で営農再開に向けて動き出した。

 いよいよ4月には、復旧作業が済んだ水田85ヘクタール、畑地15ヘクタールで営農を始める。「これが住民同士の交流のきっかけになってほしい」と願う鈴木さんは、女性の声を取り入れようと、メンバーの妻を集めて「お茶会」を企画。畑地でどんな野菜を作るか、作業分担をどうするかなどを話し合った。こうした活動の様子はA4判の「かわら版」にまとめ、地元に戻れない避難住民へ郵送している。

 昨年、同法人は別の地域に20ヘクタールの農地を借り、3年ぶりに「ひとめぼれ」を植えた。互いに農作業のやり方が違うなど、戸惑う場面もあったが、メンバーの勘は鈍っていなかった。10アール収量は570キロと、地域の平均収量を超える出来に、収穫の喜びを分かち合った。仲間からは笑顔がこぼれ、鈴木さんはあらためて「農業で人が元気になるんだ」と実感したという。

 秋には、井土地区で米ができる。離散した住民にも呼び掛け、ここで「収穫祭」をやろう――。鈴木さんは希望を捨てない。