営農再開の希望胸に 福島県・旧警戒区域を行く/がれき撤去 はなれ牛飼育 できる事からやろう

掲載日:
2013/03/10
発行元:
日本農業新聞

 東日本大震災の発生から11日で2年がたつのを前に、東京電力福島第1原子力発電所から20キロ圏内の旧警戒区域、福島県南相馬市小高区を訪れた。今も立ち入りを制限されている同地区に避難先から通って農地のがれきを撤去する農家。畜産の再開を目指し、原発事故で地域に残された「はなれ牛」を飼育する農家。長く厳しい道のりを予想しながらも、営農再開に向けて一歩を踏み出した姿を追った。 国指定の重要無形民俗文化財「相馬野馬追」などで有名な南相馬市。水稲や畑作を中心に農業が基幹産業だ。小高区は隣接する原町区の一部とともに原発事故で、原則立ち入り禁止の警戒区域に指定され住民は県内外に避難。避難指示区域の見直しで昨年4月から日中は入れるようになったが、生活音はない。自宅に住めないためだ。

 8日、市街地の一角にある「ふるさと小高区地域農業復興組合」の事務所を訪れた。被災農家が昨年6月に設立。組合長の佐藤良一さん(59)の案内でJR小高駅近くの農地に向かう。がれきの山が連なり、反対側には車やモーターボートが無造作にある。「津波が持ってきた」(佐藤組合長)。津波が襲ったあの日のままだ。

 「額に汗してできるところからやろう」。国の支援事業を活用し昨年9月、農地の草刈りやがれき撤去を始めた。セイタカアワダチソウが2メートル近くも伸びていた。作業日の参加平均は100人。作業面積は半年間で570ヘクタールに上る。

 この日、作業に参加していた佐藤光江さん(59)は「仮住まいでふさいでいた気持ちが、ここに来て晴れた」と語った。隣の原町区で避難生活を送る。「『ここが、震災後初めて笑えるようになった場所』と話す仲間は多い」という。

 「皆がここに戻って、食べていけるような魅力ある農業にしたい」と佐藤組合長。「それまで農業をつないでいける作物を考えたい」と話す。

 復興組合の作業場所から山手に向かうと、特定非営利活動法人(NPO法人)「懸の森みどりファーム」(同区大富)が管理する牛舎がある。乳牛や和牛を80頭飼う。原発事故後に牛舎から逃げた牛だ。畜産農家12人が世話をする。

 同法人は将来の畜産再開を目指し結成した。現在は大学の放射線研究に協力。新年度からは民間財団の助成を活用しエン麦、デントコーンなど飼料作物を試験栽培する。

 理事長の半杭一成さん(63)は震災後、飼育していた乳牛40頭のうち34頭が死んだ。牛舎に残った牛がひもじさに柱をかじったとみられる跡が残る。つらい経験を語りながらもこう続けた。「振り返ってばかりでは駄目。前を向こう」。メンバーは11日、犠牲者に手を合わせてから農地を耕す予定だ。