[次世代へのバトン](4) 絆 仙台市若林区井土/被災農地全て請け負う 法人設立へ地域で話し合い

掲載日:
2013/01/16
発行元:
日本農業新聞

 仙台市若林区の井土に昨年末、農事組合法人「井土生産組合」が誕生した。津波被害を受けて、住民が散り散りに移転していった今、同地区のほぼ全ての農地を請け負うことになるこの法人が、集落の結び付きを取り戻そうと動き始めた。

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 同地区は水稲の他、野菜の栽培が盛んで、小規模の個人経営が主体だった。高齢化が進み、後継者の問題も抱えていた。JA仙台の井土実行組合長を務める鈴木保則さん(52)は「いずれ何とかしないといけないと農家それぞれが思いながらも、真剣に向き合ってこなかった」と振り返る。

 圃場(ほじょう)整備の話も、なかなかまとまらなかった。農地は10アール区画で未整備のまま。営農組織は一つも生まれてこなかった。

 そんな中、津波が集落をのみ込み、38人の命が奪われた。「あの日の光景が頭から消えない」と住民は、数戸を除き市内の近隣地域などへ移っていった。

 震災で人けがなくなった井土には、約100ヘクタールの農地が残った。塩害や地盤沈下が起き、農家が手放そうとしても買い手はつかない。地域の誰かが引き受けるにも、農機は1台も残っていない。

 そこに、市の農機リース事業の知らせが届いた。集落営農組織なら、大型トラクターや田植え機といった農機を維持管理費以外は無償で使える。地区では並行して1ヘクタール区画にする圃場整備計画も持ち上がった。震災前より作業しやすく、効率も上げられるという。

 12年2月ごろから、鈴木さんが、地域の仲間を率いて法人の立ち上げに踏み出した。「自然と集落営農に向かう雰囲気があった」と、地域の変化を感じ取っていた。

 以来、生産法人についての話し合いが、毎週日曜日の恒例になるほど、会議を重ねた。場所はJAの支店の会議室を借り、今も続けている。法人への参加を決め、実行組合の副組合長を務める農家の大友一雄さん(68)は「震災前まで個人経営で“社長”だった農家が一緒にやるから大変だが、地域農業について初めて考えるようになっている」と話す。

 住民の中には、「手狭なアパート暮らしで、近所と会話をする機会が減った今、会議に参加すれば親しい面々がいる」と楽しみにする人も多い。

 果たして――、全70戸もの地権者のうち、亡くなった人や避難して連絡が取れない人を除き、ほぼ全員から農地利用について理解が得られた。そして昨年末、「井土生産組合」を設立。鈴木さんを含め15人の農家が参加を決めた。

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 営農は、来年度から20ヘクタールの田んぼで作付け、圃場整備が完了する14年度からは、本格的にスタートとなる。まずは稲作、その後に野菜の生産や直売も視野に入れる。

 お年寄りには草刈りをしてもらい、農家女性をパートで雇って、苗作りなどに協力してもらうなど構想は膨らむ。鈴木さんは「やっとスタートラインに立てた」と表情を緩める。

 鈴木さん同様に、法人で中心的役割を担う大友さんは「私たちの代で軌道に乗せて、将来は若い世代につなぎたい」と意気込む。既に、働きに出ている長男(40)には「仕事が辛くなったら、いつでも参加して良いぞ」と言葉を掛けたという。