原発事故・警戒区域の酪農家/救えなかった痛み今も・・・

掲載日:
2012/03/09
発行元:
日本農業新聞

 「餌をたくさん与えると乳房が張ってかわいそうだから、ほどほどにしておこう」

 福島県南相馬市の酪農家、半杭一成さん(62)は昨年3月15日、1週間程度の避難のつもりで牛たちに、しばしの別れを告げて自宅を後にした。

 しかし、福島第1原発が大量に放出した放射性物質の影響で、原発から19キロ離れた半杭さんの牧場もほどなく、原則立ち入り禁止の「警戒区域」に指定された。牛の搬出が許されなくなった。

 「生かすことができないならば、せめて餓死だけはさせたくない」。行政に対し、仲間と必死に安楽死を求めた。だが、警戒区域内の家畜について政府が安楽死の方針を打ち出したのは5月12日になってから。間に合わなかった。

 それから3カ月後の8月10日。「とにかく早く土に戻してあげたい」と、特別の許可を受け仲間と牛舎内に立ち入った。その時、1本の柱に刻まれた壮絶な飢えの痕跡を見た。

 「この震災で強く思ったのは命の尊さ。家族同然の牛を餓死させた。自分の責任で死なせたわけではない。でも、何もできなかった。どんな気持ちで、牛はこの柱を食べたのか」

 半杭さんはそれからずっと、牛たちを救えなかった自らを罰するかのように、自分で写した1枚の写真を携えている。

 農水省によると、警戒区域内には牛が約3500頭、豚が約3万匹、鶏が約67万5000羽いたとみられている。