震災月忌 同僚の胸中 金庫守り抜いた課長/JAいわて花巻釜石支店 “彼ならこうした” 復興へ全力業務

掲載日:
2011/06/12
発行元:
日本農業新聞

 東日本大震災は11日で発生から3カ月となった。大津波が襲った日、最期まで金庫の鍵を体から離さずにJA店舗内で亡くなった職員がいた。岩手県釜石市にあるJAいわて花巻釜石支店の支店長代理兼金融課長だった栗沢健さん(44)だ。同僚らは共済金の支払い手続きや支店機能の復旧に全力を注ぐとともに、栗沢さんの残した熱い思いを胸に職務に励んでいる。

 3月11日午後2時46分、同支店を強い揺れが襲った。職員は現金や重要書類を金庫に納めたり、停電で動かなくなった機器に対応したりといった作業に追われた。

 「逃げてーっ」。午後3時15分ごろ、迫る津波に気付いた支店長の見世百合子さん(52)が叫んだ。職員が次々と階段を駆け上がる。だが栗沢さんは金庫を施錠した後も、金庫に入りきらなかった書類を少しでも高い場所に移そうと作業を続けていた。濁流が支店を襲い、たちまち1階の天井に達し、栗沢さんの姿も確認できなくなった。

 翌日、ようやく水が引いた。職員が駆け付けると、通用口近くに倒れた栗沢さんの背中が見えた。津波直前まで支店内にいた職員9人のうち、栗沢さんと金融窓口担当の女性職員(20)が犠牲になった。

 栗沢さんは、同支店で6年ほど前から共済の渉外担当や金融課長を務めていた。「俺が10年で覚えたことを5年で身に付けてくれ、と自分の経験を全部伝えてくれた」と、同支店の大久保俊さん(27)は振り返る。

 「公私ともに相談に乗ってもらい、尊敬していた」と話すのは、鵜住居支店の尾形純亮さん(29)。共済渉外で両親と親交があった栗沢さんから「一緒に働いてみないか」と声を掛けられ、尾形さんはJAに就組した。

 同僚の職員は、懇親ボウリングや送別会の席で、栗沢さんがリーダーシップを発揮し、場を盛り上げていた姿を記憶している。震災後、訃報を聞いた組合員から悼む声が多く寄せられた。それだけに、見世支店長は「なぜ――。生きていてほしかった」と悔しさをにじませる。

 JAは犠牲者が出たことを重く捉え、危機管理マニュアルの再整備に着手した。災害を想定した訓練も行うことにしており、再発防止に万全を期す方針だ。

 現在、釜石支店は別の場所に設けた臨時支店で営業する。職員は、共済金の支払い業務や復旧などで多忙な日々が続いている。同支店共済課長の泉雅浩さん(42)は「彼が生きていたら、お客さんのために寝る間も惜しんで働いていただろう。復興に向けて、私たちができる最大限のお手伝いをしたい」と力を込める。

 同支店は職員16人のうち、支店内で2人、帰宅途中の男性(34)1人の3人が亡くなった。6月11日午後2時46分、見世支店長らは、亡くなった同僚の冥福を祈り、職場で黙とうした。