縮小しながら発展する地域の創生
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82相互扶助経済が運用されるようになります。座と講というのは非常に重要なものとしてつくられていきました。その意味では、稲作を行ったときに何が本当の変化として起こったかというのは、実はまだあまり解明され尽くされていないと思います。(*4) 岡本太郎(1911~1996)芸術家。大阪万博(1970年開催)のシンボルとなった『太陽の塔』、CMのコピー「芸術は爆発だ」などで知られる。縄文土器について触れた著作は『日本の伝統 岡本太郎の本;2』みすず書房1999年、など。(*5) 平安時代末期から戦国時代、朝廷・貴族・大社寺・武家(室町時代・戦国大名等)などに従属する諸身分において、奉仕・貢納を行う代償として与えられた特権をもとに、営業活動を行った商工業者、芸能者、交通運輸業者などの職能者の集団。(『国史大辞典』)(*6) 宗教・経済・社交場の目的を達成するために組まれた結衆集団で、○○講の名を付けて呼ばれる。(『国史大辞典』)5.新たなコミュニティ創りの  ありかた(1)若者たちの意識の変化と6次産業川井:ありがとうございます。職の問題からコミュニティ、特にオープン・クローズドというキーワードが出てきて、縄文・弥生まで話がさかのぼりました。こう考えてみると、日本人というのは、そもそもコミュニティづくりが上手なわりに、開かれた民族であったというイメージがすごく強くなります。中沢先生が最後におっしゃったように、稲作から来る細かい発祥の流れのようなものは、まだよくわかっていない部分もあるというお話がありました。内藤理事長はずっと農林水産行政の現場にいてさまざまなものを見てこられたと思いますが、そういった見地から見て、全体の流れの中でひと言ご意見いただければと思います。内藤邦男(以下、内藤):少し前の、若い人の意識についての話に戻してフォローさせていただきたいと思います。私は3年くらい前に10人くらいの20代の若い人たちを引き連れて、20日間、ラオスに行って

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