縮小しながら発展する地域の創生
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79一つの中心テーマでもあるのではないかと考えています。川井:縄文と弥生と出てしまったら、聞かないわけにいきません。中沢先生、ひと言よろしいでしょうか。中沢:日本史、ことに戦後の歴史は、つくられてしまったイメージがものすごく大きいと思います。弥生というのは農業社会で内側に集約して、縄文の狩猟社会は流動的、狩猟採集は移動していくのだというイメージが徹底的につくられているのですが、これはほとんど現実にそぐわない考え方です。まず、縄文人というのは定住社会です。最初は、日本列島に海から入ってきているのです。北からは陸地を伝わって入っていて、狩猟社会ではありますが、定住なのです。そして、畑をつくっています。この畑はかなり組織的につくられています。縄文の初期の社会というのは、栗畑をきちんとつくっていて、芋の栽培もきちんとやっているのです。地球上のいわゆる狩猟採集民族というのは、いつもバンドをつくって移動していたとイメージされて、「その人たちは自然に加工はしなかった」と言われていますが、「どうもその考えは間違っているようだ」というのが、最近の人類学の研究です。たとえば、「アマゾンのジャングルで人間の手の入っていない場所はどこにもない」と言われています。つまり、インディオがジャングルを自分たちの畑としてつくり替えてきた長い歴史があるということです。日本の縄文社会などは、それ以上にもっと高度な新石器社会ですから、定住しているのです。ただ問題は、田んぼをつくるかつくらないか、これが重大な問題だったのです。田んぼをつくるためには、まず地面をならさないといけない、水利をつくらなければいけないなど、集約的な

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