縮小しながら発展する地域の創生
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78すが、一つ注意する必要があるのは、外面的に海外に出たら開いていて、ローカルに過ごしていたら閉じている、という話ではないだろうということです。わかりやすい例では、地域でローカルな自然エネルギーに取り組んでいる若者の意識は、行動はローカルにやっているけれども、ある意味で意識は非常に開いていると思います。逆に、高度成長期の商社マンの例を考えると、海外にはどんどん行っているけれども、背負っているのは「日本丸」のような感じで、意識はけっこう閉じていたりします。ですから、貿易をしていたり海外にたくさん行っていたら開いていて、ローカルに根ざしてやっていたら閉じているということではけっしてありません。まず、ここは押さえておく必要があると思います。それを踏まえた上で、「閉じて開く」というのは、特に日本人にとって永遠のテーマとも言えると思います。一方で、基調講演の中でもローカルな経済循環と言いつつ、他方で共同体を開いていく必要があるという、一見矛盾することをお話ししたかと思います。私から見ると、日本社会はともすれば閉じていく「稲作の遺伝子」、稲作の2000年の歴史から出てきたある種の行動パターンのようなものがあります。かたや、これは中沢先生に伺いたいところですが、縄文と弥生という話にもなってくるかと思います。西村先生もおっしゃっていましたが、狩猟採集、漁業など多様な形態も持っているので、一概にそうと言えないものもあります。結局、人間というのは「閉じると開く」、言い換えると「農村と都市」と言ってもいいかと思いますし、「縄文と弥生」と言ってもいいかと思います。それら両方が必要で、そのあたりをどのように回復していくかというところが、

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