縮小しながら発展する地域の創生
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77きていたと思います。江戸時代の定常型社会は、この「開く」と「閉じる」のバランスをかなり意識的にコントロールできていたと思います。明治時代も実は、わりあいコントロールが効いていました。和魂洋才という言い方がしきりになされましたが、あれも「和魂」で閉じて「洋才」で開くというやり方で、単なる実利主義のように見えますがそうではないのです。この海洋国家で島国である日本が健康に豊かに育っていくためには、「閉じて開く」のバランスが必要だという認識が常に存在していました。今、たとえばTPPの議論で、開くのか閉じるのかという非常に極端な議論が一気に湧き上がって展開しましたが、実際には完全に閉じることもできないし、完全に開くこともできない。完全に開いたときに何が起こるかというと、現在のヨーロッパの状態がヒントになります。ヨーロッパ域内で開いただけですら、今日のような状態がもたらされていて、EU経済はシステムとしてあと10年もつかどうかわかりません。日本人が自分でどのようなメンタリティをつくっていかなければいけないかということにおいて、「閉じて開く」というバランスと運動がものすごく大事なのだろうなというのが、対馬へ行った僕の実感です。(2)「縄文」と「弥生」川井:中沢先生のお話は、先ほど広井先生がおっしゃった、オープンとクローズドの問題とまさに合致してきますが、広井先生、よろしいでしょうか。広井:今の中沢先生の「閉じて開く」というお話は、今日の一つの大きな中心的なテーマになると思います。これはある意味でコミュニティ論の永遠のテーマのような面でもあると思いま

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