縮小しながら発展する地域の創生
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68だ」と強く思っている世代の人たちが、わりとまだ力を持っています。かたや若い世代は、高度成長期の成功体験とはまったく違う時代を生きてきていて、かなり違った思考を持っています。現在はある意味で非常に大きな過渡期で、言い換えるとせめぎ合いの時代のような状況であるのではないかと思います。ただこれに関しては、時代の構造として変わっていかざるを得ないのではないかと思います。高度成長期的なパラダイム、世界観から、私は「定常」という言葉をよく使うのですが、そのような方向に変わらざるを得ません。言い換えれば「ファストからスロー」。この移行は、私は確実に進んでいくと思います。さらに言えば、ご存知の方も多いかと思いますが、江戸時代の終わりから明治の初めに日本を訪れた外国人は、口をそろえて「これほどのんびりした、働こうとしない人々を見たことがない」と言いました。ですから、「日本人が勤勉だ」というのも時代の産物です。勤勉さ自体はいいことなのですが、それで過労死するようなことは高度成長期の産物であって、そこがファスト的なものからスローへと変わっていくのではないでしょうか。もう一つ、私が危惧しているのは、クローズドとオープンという軸に関することです。「クローズドからオープン」という方向が日本社会にとっては最大の課題ではないかと思うのです。良くも悪くも日本社会の特徴は、稲作の遺伝子というか、ややもすれば共同体ごとに完結するようなところがあります。共同体を超えた開かれた関係性のような、個人としてつながるという「クローズドからオープン」が、「ファストからスロー」と並ぶもう一つの大きな課題ではないかと思っています。

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