縮小しながら発展する地域の創生
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34の境界を越えて講を結びつけるような広がりをもっていた」と書かれています。この部分は重要です。日本のコミュニティの課題のひとつは、コミュニティごとに閉じてしまうことですが、二宮尊徳の運動では、その枠を越えるような広がりを持っていたのです。テツオ・ナジタさんの議論では、明治以降の国家主導の近代化の中で、そうした伝統が失われ、あるいは変質していったが、そのDNAは日本社会の中に脈々と存在しており、震災などでの自発的な市民活動等に示されている、としています。さらに、そうした相互扶助の経済を支えた江戸期の思想において、「自然」というものが非常に重視されていました。「自然はあらゆる知の第一原理であらねばならない」という認識が存在していたのです。「これら徳川時代の思想家すべてにとって、「自然」という前提は第一の原理であった(「自然第一義」)。この見解は、自然は無限であり、個々の事物や人(安藤昌益の言葉で言えば「ひとり」)は無限であり、すべてが普遍的な天つまり自然から、分け隔てなく、他者との間に優劣をつけられることもなく、恵みを受けるというものであった」のです。つまり、個別の共同体、コミュニティの根底にある自然が、コミュニティの枠を越えて、人と人をつなげる原理として意識されていたということです。いろいろと再発見・展開していく余地のある、興味深いテーマです。(*2) テツオ・ナジタ著、五十嵐暁郎監訳、福井昌子訳(2015)『相互扶助の経済:無尽講・報徳の民衆思想史』みすず書房

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