縮小しながら発展する地域の創生
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105でも、それは違うと思うのです。つまり、隣の人と一緒にご飯を食べる頻度を増やす。毎日一緒に食べろとは言いません。しかし、頻度を増やす。それは、地方で隣の家と場所が離れていても、あえてそこまで頑張って移動して一緒に食べる。私の提案はそういうことです。要するに、今は家族がかなりコミュニティづくりのかせになっているのではないかという気がするのです。家族そのものが悪いという意味ではありません。隣と人と一緒にご飯を食べると、家族で食べるときに「ああ、家族でよかったね」とありがたみを感じることも含めて、私は家族を超えて近所と関係を持つことを提案したいと思います。―どのような社会をつくっていくのか、という議論を正面からしていこう西村:日本語で「家」という古い言葉がありますが、これは「家族」という意味ではありません。家の存続というのはすごく大事で、養子を取ったり、隣の人が入ってきたりするものが「家」で、これが一番重要な価値でした。それがいつの間にか「家族」にすり替わった時期があります。その家族が今、内部で解体し始めてしまいました。先ほど「ここから先、日本人はどうしていったらいいのか」とおっしゃっていたことは、「家」ということではないかと思います。さて、広井さんは、「鎮守の森構想」、鎮守の森の問題に取り組んできましたが、これはかなり具体的に「今後のコミュニティの人間関係をどうしていくか」ということに関わっていると思います。それについてお願いします。広井:今の質問との流れも含めて、「これからどういうことに価値を見つけるのか」についてお話しします。今日は時間の関係もあって十分

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