2025年の日本を俯瞰した調和的な社会経済モデルを探る
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89早川:私も、たぶん20年後に地方は残ると思っているのです。先ほどのお話にあったように、本当に困らないとイノベーションは起こりません。それはまさに真実でして、奥三河の津具村までいくとなかなか難しいかもしれないけれども、それでも生き残れる可能性はあると思います。 私たちのところも、困っているからこそいろいろなことを仕掛けているわけです。うちも病院ですが、東京にある病院とはだいぶ違いますので、「生活全体で地域につながっていこう」という形にならざるを得ない。今までの医療の診療報酬体系の下でも、ずっとそのようにやってきましたが、本当に困ると必然的にそうならざるを得ないようになっているのです。 変な言い方ですが、地方が疲弊しないと力が出てこないのです。けれどもやはり、そこに一定の数のやる気のある人たちがいなければ、潰れると思います。また、やる気だけでは如何ともしがたいので、ある程度はモノやお金がついてこないといけないと思いますが、そこはやはり地方の行政力だと思っています。私たちは10年くらい前から、今の地域包括ケアとほとんど同じことをやっていたのですが、昨年くらいから豊田市の行政が「足助でこんなことをやってみませんか」と、大変後押ししてくれるようになってきました。この変化は何だろうかと考えたら、たぶんそれは、地域包括ケアを地方行政がやる法律ができたからなのです。これはすごく大きな力になっています。 もっとも、ここで少しだけ恨みがましい話をしますと、2000年に介護保険が始まる前、私たちは介護職も全部含めた電子カルテ風の地域連携をやっていたのです。足助バージョンの福祉カルテを共有して作っていました。それを実際にやってみて、すごくいい感じになっ

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