2025年の日本を俯瞰した調和的な社会経済モデルを探る
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123すくなくとも農山漁村における「地域再生」や「まちづくり」は、"urban development"ではなく"community planning"である。つまり地域に住まう住民が主体性をもって、地域の風土的個性を生かした産業と文化を内発的につくり上げていくものであり、それは暮らしの改善であり文化の再生である。また暮らしを考えるということは、自分に適した生業をもって働き、家庭を築き、子どもを育て、そして自立させ、いずれは老いて死を迎える過程を、各人がどうイメージするかということであり、このようなライフ・サイクルが分断されてしまった議論には、リアリティがない。すなわち住民集会や地域会議で交わされる議論は、すべて暮らしに直結した生活者の生の声なのだ。したがって、生きがいや働きがいのもてる仕事があり、生活必需品を入手できる商店や、子どもたちを通わせる学校があり、罹患や負傷したときには医療が提供され、移動のための交通手段や、余暇を楽しむ場所があり、介護支援のためのケア・サービスや緊急時の受け入れ施設があり、そして、穏やかに死を迎えることのできる場所がある、というような具体的な未来を想像するためのものであり、つまり地域住民が集う会議とは、関係の連鎖で生活の小宇宙を創造するための場なのである。いずれにしても住民の暮らしにとって医療や介護は身近なものであり、断じて特別な存在ではない。そして最後に、地域の本来あるべき姿は、その土地で生まれ、風土に育まれ、その場所を愛する子どもたちが、いずれは医師や看護師や介護士という仕事に就いて、その土地で生きていくという循環を取りもどすことにある。すなわち『定住社会』の実現である。

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