2025年の日本を俯瞰した調和的な社会経済モデルを探る
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122どは、道路や鉄道と同じように、その土地で生活していくために必要な社会インフラでもあるのだから、その体制づくりにおいて住民の主体的な参加があっても不思議なことではない。現代に入り、先進諸国を中心に福祉国家が形成されてからというもの、医療や介護そして福祉といったものは国がシステムと予算をコントロールし、地方自治体が行政サービスとして国民に提供するもの(補足すると、わが国では医療・介護施設の大半が民間事業者により運営されているため、正確には公設民営のサービスである)、という意識が一般化している。それは上述のとおり、もちろん理想の姿ではあるのだが、しかしそこには、本末転倒した事態を招く、根本的で不可逆的な誤解を生じさせるリスクも潜んでいることを知るべきであろう。本格的な高齢社会への移行は、わたしたちの認識や感覚を支えている基盤そのものが変容していく過程である。高齢社会とはすなわち――すこし辛辣な表現を用いるならば――『多死社会』である。10年後の2025年には“団塊の世代”と呼ばれる人々が75歳以上の後期高齢者になる。いわゆる『超高齢社会』の到来である。また2040年前後を境に高齢者数も減少へと転じ、年間100万人規模で人口が減り続ける本格的な人口減少時代が始まる。社会システムの変革とパラダイムの転換が必要な時代が、すでに到来したということに、もう疑いの余地はない。したがって、わたしたちはこれから「老い」や「死」を受容することのできる社会を、そしていま以上に豊かな社会を、人間と自然の叡智を結集して、産学官民協同のもとで、築いていかなければならないのだろう。

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