2025年の日本を俯瞰した調和的な社会経済モデルを探る
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99と言ったら訴えられるかもしれない、というような話がたくさん出てきている世の中なのです。 これは宇沢先生((*(*の話ですが、教育や医療に関しては、やはりそれは間違っていると。もちろん、ある一定の商品に関しての話です。でも商品だって、先ほど申し上げたようにコメとパンがあって、「私はパンが欲しい」と言ったときに「コメの方がこうですよ」と言うこともできます。ちょっと昔、農業経済学をやっている私の先生がしてくれた笑い話があって、アメリカの進駐軍は終戦後「コメを食うとバカになる」と言っていたのに、今ではコメの自由化に加えて、「コメを食わないとお前たちは駄目だ」と言っている、というよう話がありました。これは余談ですが、提供側がある程度の知性を持っていなければいけない。その一番の極みがプロだと思います。先生と生徒の関係でも同じです。生徒が「先生、今日は休講にしてください」と言ったときに先生が「分かった」と言えば両方幸せですが、それではよくない。そうした事例はたくさんあるわけです。 医療も同じです。まさに「選択の自由」というのは、あなたの選択の自由だと気分よくさせながら、実はこちらの正しい選択をさせる。それがプロのような気がするのです。ところが、今の新自由主義の向きからはそのような話はまったく出てきません。 実は、これは自分にとって本当に切実な話でして、私は高血圧の薬を飲んでいます。お医者さんとしょっちゅう言い争いをするわけです(笑)。どうしてかというと、「血圧が上がったら大変だ」と思うには思うのですが、上がったらどうしていけないのかが、素人にはなかなか実感できないわけです。だから半信半疑で、仕方がないと思って飲んでいるところがあります。個人的には、血圧が高いときの方がハイに

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