2025年の日本を俯瞰した調和的な社会経済モデルを探る
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98て、病人においしいものを食べる喜びを味わわせようとしているわけです。そこで食べられなくなったら、そこでの選択は「もうこれでいいです」ということになるのかもしれませんね。 おそらく真野先生は、あえて医療の意思決定論に絡めてお話しされていると思いますが、要するに、場の選択というのがきわめて重要だと思います。「本人、家族の選択と心構え」というのは、一義的には「場の選択」だと私は思っています。その中で我々は、在宅で、生活の場で、笑顔をもって生き続けるという幸せを追求する。その結果、「医療の選択」が起こると私は考えています。したがって、「家へ帰らなければいけない」ではなく、「生活の場で、その人がその人らしく笑顔で生きるにはどうすればいいのか」と考えていれば、おのずからさまざまな選択も起こってくるでしょう。そういう意味では、自己責任といった重たい感じでは捉えていません。選択の自由を前提にしながらも正しい選択の方向に導くためにさまざまな工夫を凝らすのがプロ西村:真野先生と早川先生と意見が異なるかもしれませんが、ちょっと違う角度で家庭医の話をしたいと思います。例えば患者さんが風邪を引いて、「熱が出て頭が痛いので薬をくれ」と言ってきたとします。それに対して、お医者さんから「薬を飲む選択肢もあれば、飲まないで家で寝ているという選択肢もあります。あなたの自由です」と言われたら、「これはお医者さんか?」と思いますよね。ところが今の世の中、資本主義が医療にまで入り込んできて、そうしたことに答えないといけないようなプレッシャーがお医者さんにかかっている。昔のお医者さんのように例えば「黙って家で寝ていろ」

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