自然と人間の協働による永続的な地域社会づくり
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88それはもとを正してみれば海民としてこの列島に渡ってきているので、当然のことなのです。 ですから、半農で兼業になっていくという状態を見ていても、これは一種の先祖返りで、むしろ専業農家というもの自体が、ある時代から日本人の生活形態として型が決まってしまったところがあるけれども、内面では漁業、商業などに自在に伸びていく柔軟さを持っている国民性のような気がします。 今、農業ではなくて、生き方として「農」を求めている若者が非常に多い。彼らは、お金に換えていく産業ではなく、その大本の部分の自然との関わりのほうに引っ張られている。別に専業であろうが、兼業であろうが、たいした違いはないのではないか。むしろそのような生き方へ向かっているのだと思います。新しい生き方を求め、原型的な日本人の生き方に還る若者たち中沢:都市生活をしていた若者が、3・11以後、大量にIターンというかたちで地方へ行っています。とくに澁澤さんがやっている岡山県は多いのです。それから隠岐の島の海あま士町などを見ていても、若者が集まって、しかも、漁業を中心とした本当に半農半漁の生き方ですが、その生き方を自分たちが理想形態だとして追求しようとしています。たぶんこの人たちは、生活が苦しいからといって都会へまた戻って行ったりすることは、あまりないのだと思います。 そうしたことを見ていると、日本人が、明治維新以後、資本主義化し、産業化し、今度は金融グローバル資本などというものに席巻されているけれども、その中から何か新しい生き方を(*7)網野善彦(1928ー2004)歴史学者、元神奈川大学教授。『「日本」とは何か』等、著書多数。

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