自然と人間の協働による永続的な地域社会づくり
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81です。愛知と信州との境、静岡と愛知と信州の境目のあの地帯には、中世から伝わっている大変すばらしいお祭りがあって、それが村ごとに行われているのです。 しかも、村が全体で、祭りのネットワークをつくり上げていて、あれは同じ日にはやらないのです。だんだん移りながら、その花祭りが行われていて、全体として見ると、あの地域、設楽町の全体、それから長野県でいうと伊那郡、静岡県の水みさくぼ窪町(浜松市天竜区)、この大きな地帯が全体でお祭りネットワークをつくり上げている。このお祭りは並大抵のことでは実行できないくらい大変なお祭りなのですが、それを見事にこなしています。ある時期は、これはもう担い手が減ってきて難しいだろうと思いきや、最近は若い人たちがむしろこのお祭りに熱を上げていて、愛知県などに働きに出て行くところから、お祭りの季節には戻って来たりしています。 河合組合長のあの発言の背後に、僕は「花祭り」の存在を感じるのですが、いかがでしょうか。社会共通資本としての祭りがきちんと位置づけされているところには、若者は必ず残る河合:確かに、高齢化していて、いろいろな祭りを続けていくというのは、それぞれの集落の中で大変な悩みの種になっているという話はよく伺います。祭りのときだけ、まちに出た若い人たちが帰って来るという話もあります。 やはり祭りというのは、どこの集落でもそうですが、子どもからじいちゃん、ばあちゃんまで、みんなが参加して、コミュニティをつくるわけですから、本当にすばらしい場だと思います。 香こうらんけい嵐渓のシンポジウムについて申し上げたか

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