自然と人間の協働による永続的な地域社会づくり
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119農村共同体(コミュニティ)の解体の上に、農村を離れた人々が、都市に集まって労働者になった。労働者はいわば自由な商品として都市に集まってきており、そこから生活の困窮と生存条件の危機がもたらされた。この問題を解決するために、共同体というものとは違う「組合」が必要とされたのである。だから、組合はいったん農村的な共同体が解体されたあとに、その上につくられたものである。農村には伝統的に、共同体とその上に立つアソシエーション的な形態が、宗教の組織などとして存在し、その二つは共存しあっていた。その伝統的な組織形態を復活採用して、新しく「近代の組合」がつくられた。農業者の組合は、この労働者の組合というものの影響下に生まれた。近代的な意味での農業者の組合も、やはり産業革命の時代である十九世紀に生まれたのである。それは、労働者と資本家の対立とは違う仕組みで発生していた、農村の困窮に対処するために、農民の協同組合が生まれた。歴史的に見ても、まず労働者によって労働組合と彼らのための生活協同組合がつくられ、そのつぎに農民の農業協同組合がつくられている。労働者の組合と農民の組合は、たがいに連動しつつも、異なる課題をもっていた。じっさい日本でも、賀川豊彦などによってまずキリスト教的な労働者の組合がつくられ、ついで農業者の協同組合がつくられている。労働者の組合と農業者の組合のもっているもっとも大きな違いは、農業者は農村に住み、そこ

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